1961年『ピカドン ある原爆被災者の記録』のレビュー

この作品では、被害者の証言やスケッチをもとに、暑い夏のいつもの朝に目覚める広島市民の姿が描かれています。タイトルカードの上にある時計の音がまず聞こえてきます。その音は、原爆投下のカウントダウンを思わせるもので、次に起こることに対する視聴者が抱く期待を意図的に高めています。

新鮮な空気を入れるために、母親が引き戸を開けると、蝉の鳴き声が時計の音をかき消します。その日は月曜日で、幼い息子と10代前半の女の子を持つ家族が、学校と大学に行く準備をしています。ノスタルジックなピアノの音色がシーンを彩ります。

視聴者にとっては、これらの家族の日常や朝の様子を描く映像は親しみやすく、広島の一般市民をより身近に感じられるように意図されています。

作品は、子供たちと父親が家を出て、世間の人々と関わる様子を追います。母親や幼い子供、そして自然界の優雅さや地域の静けさも映し出されています。ここでは、小さな男の子が池に石を投げる様子や、満開のピンクの花も見られます。

地平線の映像、池の水面に映る太陽の光、再び登場する時計のカチカチという音などが、恐怖の到来を予感させます。迫り来る軍用ジェット機を恐怖の眼差しで見つめる男の顔に影が落ちますが、それはエノラ・ゲイではありません。タイマーはまだ動いています。

それから、「ピカ」の大きな光の爆発により、人や花の映像から色が抜け、白黒のスナップ写真になってしまいます。そして、あの伝説的な広島県産業奨励館(現在の「原爆ドーム」)を「ドン」と破壊します。この爆発は、人々の皮膚を引き裂き、辺り一面を真っ平らにします。

溶けた皮膚のまま路面電車から降りてくる人々、皮膚がロウソクのように溶けていきながらも、生まれたばかりの赤ちゃんに腕を回して盾になろうとする授乳中の母親、崩れた顔を憮然と見つめる女学生など、凄惨な光景が生々しく描写されています。

シリーズの最後を飾るのは、原爆ドームの映像です。その後、映像は突然、少年が紙飛行機を飛ばすセンチメンタルな映像へと切り替わります。彼が手放すと、飛行機は過去から現代の町へと飛んでいきます。ノスタルジックな音楽が再び鳴り響き、飛行機は理想的な風景の上を飛び、続いて飛行機が首都の上を飛ぶと、紙飛行機の影が広島の近未来的な高層ビルに落ちます。

ラストシーンでは、広島市は生まれ変わったけれども、そこに住む人々には過去の亡霊がつきまとっている、ということを暗示しています。

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