1965年公式記録映画『東京オリンピック』のレビュー

ドキュメンタリー映画『東京オリンピック』は、市川崑監督によって手掛けられた作品。1965年の東京オリンピックの公式記録として撮影されました。スポーツ競技というありふれたテーマを、技術的にも物語的にも工夫され、見事、芸術作品に仕立て上げられました。

この作品は、日の出のシーンから始まり、日没のシーンで締めくくられます。この映像は、異色の映画に基本的な構造を与えると同時に、日本の象徴と人類の根源的なつながりを表現するものとして、東京オリンピックのテーマとしての意味を帯びています。

富士山の前を走る列車の美しいシーンでは、日本の象徴である日の出が再び使われています。市川監督は、さまざまな国からの匿名の視聴者とナレーション説明を並べて配置しています。

一方、オリンピック大会の表現では、市川監督による創意工夫が際立っています。

たとえば、段違い平行棒では、競技者の真下にシーンの一部を配置しているなど、多くの競技で優れたカメラワークが見られます。射撃競技では、静けさと速さを両立させ、時には銃口を相手に向けて発射することで、親近感を表現しています。

他にも、アスリートの筋肉や、重量挙げの選手の足首など、市川監督が表現するアスリートの体は、まさに注目に値します。水泳競技のシーンでは、まるで選手がタマムシ色のプールと対話しているように見え、選手が動かす手は、光り輝く湖の上を飛んでいるように見えます。

観客はボートに同乗し、水の上を疾走する漕ぎ手の力強さと優雅さに驚かされます。市川監督のチョイスはいつも意外性がありますが、観客はそのカメラワークのユニークさと芸術性にすぐに魅了されます。

市川監督によるグラフィックもさることながら、「何を見せるか」「何を見せないか」も同様に重要です。実は、勝者よりも、敗者の方がより頻繁に映し出されるのです。

たとえば、ドリンクテーブルの前を通り過ぎる長距離ランナーたちが、判断に悩む姿を面白おかしく映し出していたりと、アスリートにとって一番辛い瞬間やあまり魅力的でない瞬間を捉えています。

また、短距離走者が倒れる様子や、マラソンランナーのクタクタになった脚も映し出されます。市川監督は、観客の様子についてもカメラにおさめ、その結果、アメリカ人観客の評判は落ちてしまうことになりました。

この作品は、オリンピックの壮大さと曖昧さの中で、最終的には何らかの意味を表現しようとしています。

強引なナレーションはさておき、市川監督が意図したのは、競技や選手の人間性だけではなく、人間の基本的なつながりを強調することでした。

市川監督は、各国で聖火が運ばれる様子を長々と映し出します。選手の入場式にもかなりの時間を割いており、各国のすべてのアスリートに同じくらいの登場時間を映し出しています。

観客はそれぞれの国のスタンドにいて、一団となって交流しています。

オリンピックは、開催期間がどんなに短くとも、すべての人々をまとめて団結させます。ナレーターの話を聞くまでもなく、理解できることでしょう。

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